「大奥」における胤篤と将軍・家定の関係をネタバレ紹介していきます。
(※ネタバレ記事となります。ご注意下さい。)
胤篤が第13代将軍・家定に輿入れしたのは薩摩藩の策略によるものでしたが、次第に二人は愛し合うように。
ですが、その先には悲しい別れが待っていたのです。
胤篤と家定の結婚から永遠の別れまでを、以下、時系列でネタバレ紹介していきます。
(※この記事は、よしながふみさん原作の漫画「大奥」のストーリーを元に綴っていますので、ドラマ「大奥」とは少し内容が異なる場合があります。)
キャスト相関図についてはこちら↓
「大奥」胤篤と家定の関係をネタバレ!薩摩の策略婚から永遠の別れまで!
「大奥」における胤篤(福士蒼汰)と家定(愛希れいか)の関係性の変化をネタバレ紹介していきます。
薩摩藩より輿入れ
胤篤は、今和泉島津家に生まれた次男であり、元の名は忠敬(ただすみ)。
家定の正室となるため、名を胤篤と改めて藩主・島津斉彬の養子となった後、さらに近衛家の養子となりました。
そこで将軍の正室・御台所にふさわしい教養を身につけ、将軍・家定の元に輿入れしました。
家定への輿入れの目的は、薩摩藩が幕府内部から幕政を操ることであり、次期将軍を一橋慶喜にするよう働きかけることでした。
徐々に惹かれ合う
胤篤は薩摩藩が内部から幕政を操るため、また、家定においては老中・阿部正弘が薩摩を味方に付けることで政を行いやすくするために・・・という思惑からの結婚でしたが、次第に二人は惹かれ合うようになります。
幼い頃より父・家慶(高嶋政伸)に性的虐待を加えられていた家定は、「自分のものにしておきたい」という父・家慶の歪んだ願望から「病弱で頭も顔も悪い」という噂を立てられていました。
父・家慶の鬼畜の所業についてはこちらの記事に詳しく書いています↓
ですが、実際の家定は美人で聡明な女性。
また、胤篤も3代将軍・家光の側室・お万の方(福士蒼汰・2役)の再来を思わせるような容姿の美しさに加え、優しく思いやり深い性格であることから、
その胤篤の優しさや想いやりの心に接したことで、結婚当初は警戒していた家定の心も解きほぐされ、次第に二人は惹かれ合うようになります。
家定の懐妊
家定が心から信頼している老中・阿部正弘(瀧内公美)は、この頃、黒船来航の対応等の激務がたたったのか病に伏せるようになるのですが、手作りのカステラをお見舞いに届けてくれたお礼を言うため登城し、家定に対面。
両親から度々毒を盛られていたこともあってか、虚弱であった家定でしたが、元気に馬に乗っている姿を正弘に見せ、「私はこの通り元気だから、安心して静養するように」と伝えます。
すると、「私は上様の代わりに全ての病と業を背負って先に逝きます。今度こそ、御台様と幸せになって下さいませ」と正弘。
その言葉を聞いた家定は、正弘が去った後、ひどく動揺して嘆き悲しむのですが、「伊勢守様のやりきれない悔しさをどうかお考えになって下さいませ」という胤篤の言葉に諭されるとともに、胤篤の優しさに触れたことで二人は初めて結ばれます。
そして、これをきっかけに2人の仲は一層仲睦まじいものとなっていき、その後、家定は胤篤の子を身ごもります。
阿部正弘についてはこちらの記事に詳しく書いています↓
永遠の別れ
懐妊した家定でしたが、戌の日を過ぎても大奥に姿を現さないことで胤篤は家定のことがずっと気にかかっていました。
ですが、側近に聞いても「いつもと変わりない」という返事のみしか返ってきません。
そんな中、胤篤の義父である薩摩藩主・島津斉彬が急死したという知らせが胤篤の元に届けられました。
そして、その知らせとともに、家定もすでに亡くなっていることが知らされたのです。
混乱を避けるため、将軍の死は1か月以上遅れて知らされることとなっていたため、胤篤が家定の死を知ったのは、家定の死から随分経った後でした。
家定の死についてはこちらの記事に詳しく書いています↓
「大奥」家定死後の胤篤は?
家定は胤篤に対し、「出家、落飾することまかりならぬ」という遺言を残しました。
落飾とは、 髪を剃りおとして仏門に入ること。
どういう意味なのか、すぐには分からなかった胤篤でしたが、これは、「出家するのではなく、大奥に残り次期将軍・家茂の力になって欲しい」という家定の願いでした。
その遺言通り、胤篤は家定亡き後、14代将軍となった家茂(志田彩良)の後見人となり、支えていくのです。
江戸城無血開城後の胤篤についてはこちらの瀧山についての記事に書いてあります↓
まとめ
「大奥」における胤篤と将軍・家定の関係を、結婚から永遠の別れまで時系列でネタバレ紹介していきました。
胤篤が第13代将軍・家定に輿入れしたのは薩摩藩の策略によるものであり、幕府の内政を操り、一橋慶喜を次期将軍にさせるためでした。
しかし、その人柄に触れることで二人の間にはいつしか愛情が芽生え、次第に愛し合うように。
やがて家定は胤篤の子を身ごもりますが、おなかに子どもを宿したまま亡くなってしまいます。
その後、胤篤は家定の遺言に従い、14代将軍・家茂の後見人となり家茂を支えていくのです。
関連記事はこちら↓