「光る君へ」に登場するお笑いコンビ・はんにゃの金田哲さん演じる藤原斉信(ふじわらのただのぶ)の人物像や家系図についてまとめてみました。
また、藤原斉信は清少納言とも交流があったとされています。
どのような関係だったのか、藤原斉信と清少納言との関係についてもご紹介させて頂きます。
「光る君へ」藤原斉信(はんにゃ金田哲)の家系図は?
「光る君へ」に登場するお笑いコンビ・はんにゃの金田哲さん演じる藤原斉信(ふじわらのただのぶ)の家系図はこちらになります。
「光る君へ」のヒロイン・まひろ(吉高由里子)のソウルメイトである藤原道長(柄本佑)とは、父親同士が兄弟ゆえ従兄の関係に当たります。
ちなみに、斉信の父・為光(坂田マサノブ)と道長の父・兼家(段田安則)は異母兄弟です。
斉信の妹・忯子(よしこ・井上咲楽)は花山天皇に入内しますが、早くに亡くなってしまいます。
「光る君へ」藤原斉信と清少納言との関係は?
藤原斉信は、清少納言とも交流があったことが知られています。
「光る君へ」では、清少納言のモデルとして、ファーストサマーウイカさん演じるききょうが登場しています。
二人の関係についてご紹介していきます。
藤原定子のサロンにて
清少納言は、正暦4(993)年の冬頃から、女房として中宮・藤原定子(高畑充希)に仕えるようになりました。
一方、斉信は、正暦5(994)年に蔵人頭になりました。
蔵人頭とは、天皇の側近として働く役職。
当然、中宮方に出向く機会も多くなり、中宮・藤原定子のサロンによく出入りしていたようです。
藤原定子は、道長の兄・道隆(井浦新)の娘で、正暦元(990)年に一条天皇(塩野瑛久)の元に入内しました。
定子のもとに仕えている清少納言と定子のサロンに足しげく通う斉信は、頻繁に顔を合わせていたようです。
枕草子にて称賛
清少納言が書いた「枕草子」では藤原斉信が頻繁に登場しており、好意的に描かれています。
最も良く知られた部分をご紹介すると・・・
4月のある日、斉信が詩を朗詠するのですが、それは七夕の詩でした。
七夕の詩であることに気が付いた清少納言に、斉信は「気の早い七夕だ」と嫌味を言われてしまいます。
その後、七夕祭において、斉信は「今度は4月の詩を朗詠しよう」と前回の失敗にちなんだ発言をしたとのこと。
時間が経っていることで、周りにいる人たちは誰一人として斉信の言葉の意味が分かっていませんでした。
もちろん清少納言は4月に斉信が七夕の詩を朗詠したことを覚えていたため、「世の中の多くの男達は、過去のことをすぐに忘れてしまうのに、過去のことを忘れないとは素晴らしい」と、斉信のことを称賛したのでした。
藤原斉信は清少納言に好意があった?
「枕草子」の中にはこのような斉信と清少納言とのやり取りが書かれています。
わざと呼びも出で、会ふ所ごとにては、
「などかまろをまことに近く語らひたまはぬ。さすがにくしと思ひたるにはあらずと知りたるを、いとあやしくなむおぼゆる。かばかり年ごろになりぬる得意の、うとくてやむはなし。殿上などに、明け暮れなきをりもあらば、何事をか思ひ出でにせむ」とのたまへば
「枕草子」(校注・訳:松尾聰・永井和子「新編日本古典文学全集」)
現代語に訳すと・・・
(藤原斉信は)わざわざ私を呼び出して、会う度ごとに、
「どうして私と本当に親しく語り合って下さらないのですか。さすがに私を嫌ってはいないということは分かっているけれど、(親しい付き合いをしてくださらないので)とても不思議に思っているのです。こんなに長年にわたって付き合っているのに、よそよそしい関係で終わってしまうなんてことはないでしょう。私が今後、殿上に出仕しないようになってしまったら、何を(あなたとの)思い出にしたら良いのだろう」と言えば
これは、藤原斉信が清少納言に言ったという言葉であり、この内容からは、清少納言が藤原斉信に言い寄られているような印象を受けます。
これに対し、清少納言の返した言葉は・・・
「さらなり。かたかるべき事にもあらぬを、さもあらむ後には、えほめたてまつらざらむが、くちをしきなり。上の御前などにても、やくとあづかりてほめきこゆるに、いかでか。ただおぼせかし。かたはらいたく、心の鬼出で来て、言ひにくくなりはべりなむ」
「枕草子」(校注・訳:松尾聰・永井和子「新編日本古典文学全集」)
現代語に訳すと・・・
「言うまでもないことです。(あなたと)親密になることは難しくないですが、もしそうなってしまった後には、(あなたを)お褒めすることが出来なくなるのが残念なのです。帝の御前などでも自分の役目だと思い、あなたのことを褒め申し上げていますのに、どうしてそのような親密な仲になれるでしょうか。ただ私のことを想うだけでいてください。(親密な仲になってしまうと)体裁が悪くなり、心の鬼(私の心の中の良くないところ)が出てしまい、あなたのことを褒めることができにくくなってしまいますから。」
そのやり取りをそのまま受け取ると、藤原斉信と清少納言は清少納言に好意を持っていたということになります。
ですが、見方を変えると、高貴な身分で美男子だったとされる藤原斉信から好意を持たれていたという自慢のようにも思えます。
「光る君へ」藤原斉信とはどんな人?人物像を紹介!
「光る君へ」に登場する藤原斉信の人物像についてご紹介いていきます。
公式ページに書かれている人物像は以下の通りです。
実際の藤原斉信とはどのような人物だったのか、以下、まとめてみました。
出自
藤原斉信は、康保4(967)年に藤原為光の次男として生まれました。
母は、摂政/太政大臣・藤原敦敏の娘。
3歳年上の兄・誠信とともに幼いころから高等教育を受け、天元4(981)年に15歳で従五位下に任じられてからは、父と兄と共に花山天皇に仕えました。
兄を越える出世を果たす
正暦5(994)年、斉信は蔵人頭(頭中将)となり、関白・藤原道隆の娘であり、一条天皇に入内した藤原定子のサロンに頻繁に通うようになるのですが、
長徳元(995)年4月に関白・藤原道隆が亡くなったことで、その後は中関白家から距離を置き、藤原道長に接近。
斉信は、権力者である藤原道長の信頼を得ることによって、長保3(1001)年は権中納言に任じられます。
この時、官位で兄・誠信を超えることに。
誠信は弟・斉信に官位を抜かれたことで、斉信と藤原道長を恨み、自ら断食を決行。憤死してしまいます。
権力者・道長に接近する斉信のことを批判する声もあったものの、斉信の昇進は、兄・誠信よりも優れた能力の持ち主であったためとも言われています。
文化人
和歌や漢詩、また朗詠や管絃にも通じており、当代随一の文化人としての名声も高かったとのこと。
「類聚句題抄」、「新撰朗詠集」などには、藤原斉信の作品が多数残っているほか、勅撰歌人として「後拾遺和歌集」(1首)以下の勅撰和歌集に6首が入首しています。
まとめ
「光る君へ」に登場するお笑いコンビ・はんにゃの金田哲さん演じる藤原斉信の人物像や家系図についてまとめるとともに、交流があったとされる清少納言の関係についてご紹介させて頂きました。
藤原斉信は、藤原為光の次男として誕生しました。
藤原道長とは従兄弟の間柄です。(道長が1つ年上)
関白として道長の兄・道隆が存命の頃には、中宮・定子のサロンによく出入りしていたことで清少納言ともよく顔を合わせており、清少納言の書いた「枕草子」にも多く登場しています。
道長の兄・道隆が亡くなった後、権力者となった道長に接近し、兄を越える出世を果たしました。
道長に近づく斉信のことを批判する声も多かったようですが、斉信は和歌や漢詩、また朗詠や管絃にも通じており、当代随一の文化人としての名声も高く、優れた人物であったようです。
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