「光る君へ」に登場する町田啓太さん演じる藤原公任とはどんな人物だったのでしょうか?
「光る君へ」のヒロインまひろのモデルとなった紫式部とは恋仲だったという説もあるようです。
藤原公任の人物像と紫式部と恋仲だったという説について調べてみました。
(※ドラマ「光る君へ」のネタバレとなる可能性があります。ご注意ください。)
「光る君へ」藤原公任(町田啓太)はどんな人?
「光る君へ」に登場する町田啓太さん演じる藤原公任とはどんな人物だったのでしょうか?
「光る君へ」の公式ページに書かれている人物像は以下の通りです。
実際の藤原公任とはどのような人物だったのか、以下、まとめてみました。
名門の血筋
藤原公任は、康保3(966)年に関白太政大臣・藤原頼忠の長男として生まれました。
母は、第60代醍醐天皇の孫にあたる厳子女王。
天皇家の血筋を引くとともに、政治の中枢を担う関白の家柄の嫡男であったことから、元服の儀式は平安京の清涼殿にて行われるとともに、第64代・円融天皇自らが公任に冠を与えたとも伝えられています。
元服が清涼殿で行われるということは皇族と同等の扱いであり、これまでになかったこと。
また、元服後、公任には高官である正五位下の官位を与えられ、その後も順調に出世を果たしていきます。
祖父・実頼が33歳、父・頼忠が37歳で得た従四位上の官位を公任は17歳で得るなど、異例の出世スピードでした。
出世を逃す
恵まれた家の出身だったことから幸先の良いスタートを切り、その後も異例のスピードで順調に出世を果たしていった公任でしたが、
寛和2(986)年の一条天皇の即位に伴い、父・頼忠が関白を辞任。
藤原兼家が摂政となったことで、政治の実権が小野宮流(公任の血筋)から九条流(道長の血筋)に移り、このことをきっかけに公任の出世は停滞するように。
そして長保6(1004)年10月、親しい友人でもある1歳年下の藤原斉信が、公任よりも先に従二位へ昇進したことで不満をを爆発させ、ただちに出仕をやめ、12月には中納言左衛門督の辞表を道長に提出してしまうのでした。
しかし結局、7ヶ月の不参を経て、翌寛弘2(1005)年7月に従二位に叙せられたことで、公任は再び参内を再開しました。
歌人として
公任は、和歌の他、漢詩、管弦、どれをとっても完璧だったと言われています。
中でも、特に和歌には優れた才能を発揮し、私撰和歌集「拾遺抄」を編纂。
この「拾遺抄」は、花山天皇が編纂した勅撰和歌集「拾遺和歌集」の元となったものとされており、「拾遺和歌集」の中には公任の詠んだ歌88首が入首しています。
「拾遺抄」の撰者となったことで、公任は歌人としての名を上げました。
「光る君へ」藤原公任は紫式部とは恋仲だった!?
藤原公任について調べてみると、「光る君へ」のヒロインのモデルとなった紫式部と恋仲だったのでは?という説があったのでご紹介させて頂きます。
「紫式部日記」のエピソード
寛弘5(1008)年9月11日、道長の長女である中宮・藤原彰子が一条天皇の第2皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)を出産。
これにより、11月1日に土御門殿において皇子誕生五十日の祝宴が行われました。
その際、酒に酔った公任が紫式部にこのように話しかけました。
現代語訳だと・・・
この「若紫」とは、当時話題になっていた紫式部の書いた「源氏物語」のヒロイン・紫の上のこと。
これに対し、紫式部は「(この宴の席に)光源氏らしき人もいないのに、紫の上がいるわけないじゃないの」と公任のことを無視したということです。
「紫式部日記」解釈
この「紫式部日記」の中に書かれたエピソードには2通りの解釈ができます。
定説・冗談
公任は、「源氏物語」の登場人物「紫の上」と「紫式部」をかけ、酔っぱらった上で紫式部に軽く冗談を言っただけ・・・というのが定説になっており、
公任に対して無視をしたという紫式部の態度も、公任が酔っぱらっており、不快だったためだとされています。
恋仲説
しかし、一方ではこんな解釈も・・・
公任が言った「若紫」は「源氏物語」の「紫の上」を指したものではなく、「我が紫」であり、それは「私の紫式部」と呼びかけたのでは?という説も存在しています。
また、紫式部の「無視をした」という態度においても、親しい仲だからこそできたことなのでは?と取ることもでき、公任と紫式部の関係について恋仲だったのでは?という声に繋がっています。
まとめ
「光る君へ」に登場する町田啓太さん演じる藤原公任とはどんな人物だったのか、その人物像と、
「光る君へ」のヒロインまひろのモデルとなった紫式部とは恋仲だったという説について調べてみました。
藤原公任は、その恵まれた出自により早くから出世をしますが、一条天皇の即位に伴い、父・頼忠が関白を辞任し、道長の父・兼家が摂政となったことで公任の出世のスピードも停滞するように。
長保6(1004)年10月、遂には、親しい友人でもある1歳年下の藤原斉信が公任よりも先に従二位へ昇進したことで辞表を提出。
結局は、7ヶ月の不参を経て再び参内するようになりますが、最終的に官位にはあまり恵まれませんでした。
ですが、公任は和歌の他、漢詩、管弦、どれをとっても完璧であり、優れた歌人として名を馳せました。
紫式部が書いた「紫式部日記」には公任とのエピソードも書かれており、酔っぱらって冗談を言った公任のことを不快に思った紫式部が無視したという解釈が定説となっているものの、
二人は親しい仲であり、恋仲だったのでは?という解釈もあるようです。
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