「大奥」にて赤面疱瘡という病が描かれますが、この病の原因は何だったのでしょうか?
赤面疱瘡の発生から撲滅に至るまでをネタバレ紹介していきます。
「大奥」赤面疱瘡の原因は?
「大奥」にて赤面疱瘡という病が描かれますが、この病の原因は何だったのでしょうか?
以下、詳しく紹介していきます。
赤面疱瘡とは?
「大奥」にて描かれている赤面疱瘡とは、男性のみが罹患する疫病。
若い男性がこの病にかかると10人のうち8人が死に至るという恐ろしい病気です。
全身に発疹が出来てそれが膨れ上がって真っ赤にただれることから、「赤面疱瘡」と呼ばれるようになりました。
赤面疱瘡の原因は?
一番最初に赤面疱瘡で亡くなったのは1人の少年でした。
山に山菜やキノコを採りに出かけたところ、クマに襲われ、しばらくしてその少年は息を引き取りました。
その数日後、その少年の兄が原因不明の高熱を出し、その後全身に真っ赤な発疹が出来て亡くなり、その後、別の兄、そして父親も同じように亡くなりました。
そこから、同じような症状で亡くなる人が増え始め、瞬く間に隣の村へ、そしてまた隣の村へ・・・と広がっていったのです。
赤面疱瘡のきっかけとなったのは、少年がクマに襲われたこと。
少年を襲ったクマが赤面疱瘡のウイルスを持っており、それが少年の身体の中に入ってしまったことによって、人間にも罹患するようにウイルスが変化したことが原因です。
【ネタバレ】「大奥」赤面疱瘡の撲滅まで
赤面疱瘡の流行により、男子の人口は女子のおよそ4分の1までに減少してしまうのですが、そこからどうやって赤面疱瘡を撲滅するに至ったのか、
以下、ネタバレ紹介していきます。
8代将軍・吉宗の遺言
8代将軍吉宗(冨永愛)は、幼い頃に「昔は男子の人口は女子と同じくらいであった」と聞いたことがあったものの、男子の数が著しく減少した時代に生きた吉宗にとって、そのことはにわかには信じがたい事実でした。
ですが、大奥の歴史が綴られている「没日録」を読んだことで、この世に男子の少ない理由が赤面疱瘡であることを知るとともに、
「男子が少ない現国防力では他国に侵略されかねない」と国の行く末を憂い、死の間際に家重(9代将軍)・家治(10代将軍)の側用人を務めた田沼意次に赤面疱瘡の根絶を託しました。
田沼意次・平賀源内・青沼の活躍
吉宗の遺言を受け、田沼意次(松下奈緒)は、本草学者の平賀源内(鈴木杏)に優秀な蘭学医を探すように命じ、
源内は、長崎にて大通詞であり蘭方医・吉雄耕牛(飯田基祐)に師事する吾作(村雨辰剛)と出会い、大奥へと連れ帰りました。
吾作は名を青沼と改めるとともに、自らが中心となって赤面疱瘡の研究を進め、遂には、洋書から弱毒性の赤面疱瘡を故意に遷すことで強毒性の赤面疱瘡に罹患することを防ぐ人痘法に辿り着き、これを成功させました。
ですが、不幸なことに松平定信(安達祐実)の甥が人痘法の副作用にて死亡。
一橋治済(仲間由紀恵)の策略によって、日頃から定信からよく思われていなかったことも災いし、田沼は失脚。
定信によって蘭学禁止令も出されたため、赤面疱瘡撲滅のための研究も中止せざるを得ない状況になってしまいます。
田沼意次・平賀源内・青沼の最期については、こちらの記事にて詳しくまとめてあります↓
徳川家斉と黒木良順の働き
一橋治済の策略によって中止に追い込まれた赤面疱瘡撲滅のための研究ですが、治済の息子である11代将軍・家斉(中村蒼)によって再開されます。
治済は、自身の子・家斉を将軍職に就かせたいがため、他に優秀な男子がいては困るとの思いから、赤面疱瘡の流行が終わることを良しとしていませんでした。
そのため、家斉に人痘法を受けさせた後、赤面疱瘡の流行を終わらせまいと青沼らを排除しようと動きました。
治済のサイコパスな行動についてはこちらの記事にてまとめてあります↓
家斉はこの母・治済の数々の悪行を見かね、母に内緒で、かつて青沼らと一緒に赤面疱瘡撲滅のために研究していた黒木良順(玉置玲央)に接触し、再び赤面疱瘡撲滅のため、研究をしてくれるように頼むのです。
そこで黒木はこの家斉の頼みを聞き入れ、再び赤面疱瘡の研究を再開。
黒木は、かつて平賀源内が立ち寄っていた村にも足を運び、そこで源内の助言によって副作用のほとんどない熊痘(ゆうとう)接種が行われていること、その方法で男子減少が食い止められていることを知り、
その方法を江戸へと持ち帰り、遂には赤面疱瘡撲滅へとつながっていきました。
熊痘(ゆうとう)とは・・・軽症の赤面疱瘡の熊から膿疱を抽出して接種すること。
黒木のモデルについてはこちら↓
まとめ
「大奥」にて描かれている赤面疱瘡という病の原因について、また赤面疱瘡の発生から撲滅に至るまでをネタバレ紹介していきました。
赤面疱瘡の発生から撲滅に至るまでの過程は以下の通りです。
・赤面疱瘡は、元々熊が持っていた病気。ある村の1人の少年が赤面疱瘡のウイルスを持っている熊に襲われたことで人間にも広がる。
・赤面疱瘡は男子のみが罹患する病。致死率は80%で、男子は女子の人口の4分の1まで激減。
・日本の国の行く末を憂いた吉宗の遺言により、田沼意次は平賀源内に命じ、青沼らと赤面疱瘡撲滅のための研究に乗り出し、人痘接種によって効果を上げる。
・人痘接種の副作用で松平定信の甥が命を落としたことで赤面疱瘡の研究は中止させられる。
・11代将軍・家斉は青沼らと一緒に研究していた黒木を探し出し、研究を再開することを依頼。黒木は副作用のほとんどない熊痘に辿り着き、これで赤面疱瘡を撲滅させることに成功。
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