「大奥」第14代将軍・家茂の死因と和宮との絆、そして最後の言葉までをネタバレ紹介していきます。
家茂は公武合体のため、朝廷より降嫁してきた正室・和宮が偽物だったことが分かっても、責めることはおろか、和宮に理解を示し、深い関係を築いていきます。
この記事では、家茂と和宮との関係の深まり、また、家茂が亡くなる際に残した言葉からは和宮への想いがより伝わってきますので、その内容を詳しくご紹介させて頂きます。
(※この記事は、よしながふみさん原作の漫画「大奥」のストーリーを元に綴っていますので、ドラマ「大奥」とは少し内容が異なる場合があります。)
キャスト紹介についてはこちら↓
—————————————————————
「大奥」を1話目から視聴するなら、U-NENTがおすすめ!
月額プラン2,189円(税込)が31日間無料!600円分のU-NEXTポイントがもらえます↓
※本ページの情報は2023年11月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。
—————————————————————
【ネタバレ】「大奥」家茂の最期は?脚気が死因で上洛中に亡くなった!
「大奥」における第14代将軍・家茂(志田彩良)は、病気によって20歳の若さで亡くなります。
家茂の死因となった病気とは脚気であり、上洛中に亡くなってしまうのです。
1度目の上洛
文久3年、第14代将軍・家茂は大名・幕臣3000人を率いて、将軍としては第3代将軍・家光以来の229年ぶりの上洛を果たします。
上洛したときの出で立ちや凛とした佇まい、そして、征夷大将軍として帝を守る覚悟を持った家茂に対し、孝明天皇はひどく感動し、家茂を気に入るのでした。
孝明天皇に気に入られた家茂は、滞京予定日を大幅に過ぎても江戸に帰ることが出来ず、3か月を過ぎた頃になって、ようやく和宮(親子)のことをしたためた宸翰(しんかん)を渡され、江戸へ帰参することができました。
2度目の上洛
尊攘派と開国派の軋轢が激化しており、長州征討を何としても食い止めたかった家茂。
家茂のことを気に行った帝からも上洛するよう求められたことで、家茂は自らの病を押して2度目の上洛を果たします。
その後、江戸に帰る際に立ち寄った大坂城にて勝海舟(味方良介)に大政奉還をするよう伝え、家茂はそのまま倒れ亡くなってしまうのです。
家茂の患っていた病は脚気。
脚気は、ビタミンB1の不足による栄養障害で、心拍数が増加することから嘔気や下肢にむくみが生じ、病状が進行すると心不全を発症する病気。
この時、家茂は若干20歳という若さでしたが、脚気によって命を奪われてしまったのです。
ビタミンB1の欠乏は、甘いものをたくさん摂取することで引き起こされます。
「大奥」の家茂の人物紹介欄には以下のように書かれているためことからも、
家茂は甘いものをたくさん摂取していたことが原因で脚気になってしまったのだと思われます。
(※史実においても、家茂は毒殺説もあるものの、脚気によって亡くなったとされているとともに、甘いものを多く食べていたのか虫歯も多かったようです。ちなみに、正室・和宮の死因も脚気だったそうです。)
【ネタバレ】「大奥」家茂と和宮との絆の深まり!
公武合体により、孝明天皇の弟・和宮(岸井ゆきの)が家茂の元に降嫁してきましたが、実は、その正体は和宮ではなく、和宮の姉・親子(ちかこ)でした。
降嫁を嫌がった和宮の身代わりとなり、男装して江戸にやって来た親子。
何故、親子が和宮として降嫁してきたかについては、こちらの記事に詳しく書いてあります↓
親子が偽物だと知り、大奥総取締役・瀧山(古川雄大)らは憤慨しますが、家茂は和宮(親子)を温かく迎え入れ、優しく接するように。
女将軍が婿として朝廷から女を迎えてしまったという失態が明らかになるのは、幕府の恥。
それゆえ、和宮は「幕府は自分が女であることを幕府は隠ぺいするであろう」という思惑の中、強気な態度に出るのですが、それに対して家茂は嫌な顔一つせず、「女同士、仲良くしよう」と言うのです。
家茂の優しさに触れたことで、次第に和宮も心を許すようになり、2人には家族のような絆が生まれます。
【ネタバレ】「大奥」家茂の最後の言葉とは?
次第に心を通わせ、その絆を深めていった家茂と和宮。
家茂は上洛中に亡くなったということを知らされたことで、和宮は深く悲しみます。
将軍の死はすぐには知らされず、死後数日たってから知らされることになっているため、和宮が家茂の死を知ったのも家茂の死から5日が経った後でした。
悲しみに暮れる和宮。。。
その姿を見ていた天璋院(福士蒼汰)は、家茂の上洛に同行していた能登(中村アン)が大奥に帰還した際、「和宮を慰めてほしい」と頼み、
能登は家茂の最後の言葉を伝えるため、和宮に対面します。
すると、宸翰を手渡し、「(家茂は)『徳川を守ってほしい』と仰せでした」という能登に対し、和宮は「本当の家茂の最期を教えて欲しい」と詰め寄るのです。
「和宮にだけは、悔いもなく静かに旅立ったと伝えてほしい」という家茂の指示に従い、そのように伝えようとしていた能登でしたが、
能登の目からは涙がこぼれ、遂には本当の家茂の最期を和宮に伝えます。
家茂は最後まで苦しみ、何度も「無念である」と繰り返していたのです。
そして、「死にとうない、生きたい!宮様に会いたい! 江戸城に帰りたい!親子様…。」と最後は和宮の本当の名(親子)を呼び、亡くなったのでした。
そして、「江戸に帰ったら和宮と一緒に着よう」と家茂が買い求めていた西陣の打掛を能登が「形見に」と差し出すと、和宮は泣き崩れるのでした。
まとめ
「大奥」第14代将軍・家茂の死因と和宮との絆、そして最後の言葉までをネタバレ紹介していきました。
家茂は公武合体のため、朝廷より降嫁してきた正室・和宮が偽物だったことが分かっても、責めることはおろか、和宮に理解を示し、深い関係を築いていきます。
家茂の優しさに触れたことで和宮の心も解きほぐされ、いつしか2人の間には家族のような絆が生まれます。
幕府の力が衰退していく中、帝の求めに応じ上洛した家茂は、大坂城にて脚気により亡くなってしまいます。
家茂は残される和宮のことを案じ、「和宮にだけは、悔いもなく静かに旅立ったと伝えてほしい」と言い残しますが、
実際は、最後まで苦しんで、何度も「無念である」と繰り返し、最後は「死にとうない、生きたい!宮様に会いたい! 江戸城に帰りたい!親子様…。」と和宮の本当の名を呼び亡くなったのでした。
関連記事はこちら↓